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(キリストの為に生命を失うものはそれを得るの意味とは)


2019年5月11日

   『このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」』

(マタイ伝16章21~28節 新共同訳)



   イエス様はペテロに「あなたはメシア、生ける神の子キリストです」と告白されてから自分はキリストだとさらに自覚を新たにされて歩みだされました。「長老・祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」と言われ始めました。 ペテロは、「とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」といさめた時に、「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」と言われました。イエス様は、自分がイスラエルで旧約の時代から預言されていたメシアであるという自覚を意識していられました。自分の生命の安全よりも父なる神からの使命の贖いの死をも避けずに進まれました。 ペテロが死ぬことは必要ないとイエスをいさめた時に、即座にペテロに自分の使命を表明されました。その時にイエスは、強い口調で「あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」と言われました。普通は自分の生命は何よりも優先して守りたいと思うものでしょうが、イエス様は違われました。自分の生命よりも天の父の御心を優先されました。主は、世の人々が人を殺し、あらゆる悪をしつくしてきた罪を自分の生命と引き換えに贖い救う道を何よりも大切にしようとされました。


   そして最愛の弟子たちに言われました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の生命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために生命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の生命を失ったら、何の得があろうか。」 イエスについて行きたいものは、自分を捨て、自分の十字架を負いキリストに従えと言われます。この世を生きる者は自分を向上させ自分を豊かにし、自分に力が増すことを何よりも優先するでしょう。しかしキリストは、自分を豊かにするよりも我を捨てること、そして自分自身の十字架を負えと言われます。キリストを信ずることは当時ユダヤ教の人たちからうとまれ、あるいは殺される危険がある時代でした。その上に自分の十字架を背負えと言われます。人の負う困難を考えますと、2000年前の当時だけでなく現代も私たちの人間の社会では、大災害や病気、事故などによる困難は今まで少なくありません。自分が病気になり、また災害で愛する者を突然失う痛みは当事者にとっては何よりも代えがたい悲しみだと感じます。私たちは案外豊かになった現代に生きていますが、しかし、個人単位で思いますとそれぞれの人にやはりその人なりの問題、困難があります。


   キリスト様の戒めは、「私が愛したようにあなたがたも互いに愛し合え。友のために自分の生命を捨てることこれより大きな愛はなし。」と言われました。 主はこの世の困難、迫害をキリストの兄弟の中で愛し合いながら乗り越えていこうと言われ、その愛の最大なものが我が友のために自分の生命を捨てることであると言われました。普通何よりも優先して人間だったら自分の生命を守ろうとすると思いますがキリストは自分の肉の生命よりも大切なものを言われました。それは大切な自分の生命よりもさらに大切なもの、キリストの兄弟愛とその自分の生命を捨ててでも我が友を愛するキリストの兼ね備えていた慈愛を受け、キリストの生命を受けて喜んで自分の生命を差し出す神の愛に生きることでしょう。 主は、自分を愛の中で捨て、自分の問題や困難や社会からの迫害に対し自分の十字架を背負い、キリストに従えと言われます。


   私は自分の体が弱く、病になり人生に挫折した時に、キリストに出会いました。そして生けるキリストを信じて従い歩みだして現在があります。キリスト様の導きで私は自分を捨ていろいろな困難を自分の十字架として受けて、キリストに導かれて従い歩んで来ました。その歩み出しは普通の人には困難と見えるかもしれませんが、しかし、それは私にはキリストの愛の中で甘美で、愛に包まれて、歩むほどに幸せが充ちてきました。私はキリストを信じて導かれて従い歩んだことを今振り返り感謝に尽きません。 「自分の生命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために生命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の生命を失ったら、何の得があろうか。自分の生命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」
   キリストは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従え。」と言われましたが自分の大切な生命を捨ててでもキリストの友を愛することの意味とは何でしょうか?

 この世では自分の生命を捨てればすべてが終わりとなるだろうと普通思います。しかし、キリストの世界はそれで終わりではなく、この世から次の世、キリストの天国があるでしょう。この世の自分の生命をキリストの愛で捨て、キリストの兄弟の愛を受けながら友のために生命を捨てることは普通の人には出来ない神の愛の姿かもしれません。自己愛や自分の利のためには人の生命まで奪っても当たり前に考えている悪に染まった地獄の子の様な人もいる様です。そういう人々はまことで愛なるキリストを否定する様です。しかし、キリストを信じ、キリストの愛で兄弟を愛し、自分のこの世では一番大切な生命を捨ててでも主の友を愛し神の子、天使のような姿に主を信じ従えばキリストを信じる者は誰でも神の子になれる可能性があるとキリスト様は教えてくださるのでしょう。


   キリストの愛の中で神の兄弟を愛し友のためにこの世の生命を捨てて失っても、肉の生命がなくなっても霊の生命は滅びずに生きて驚くべき素晴らしい天国で神の愛の冠を受けます。自分を捨てて友のために生きた者は天国でキリストの身そば近くに導かれてかけがいのない幸せに永遠に生きられることを教えてくださっているのでしょう。 キリストの世界ではこの世の生命よりも自分の魂の霊の生命こそ大切でしょう。神の世界の生命よりもこの世の生命やこの世の栄華や地上の富を得てこの世の繁栄は一番大切だと望む人は多い様です。キリストはたかが長くても100年くらいのこの世の生命よりも2000年以上いや永遠に続く永遠の生命をキリストに信じて、本当に幸せに過ごせるために、神の愛の生命の流れを受けて自分を捨てて生きる者の自分の霊に与えられる主の愛の生命こそ人間に与えられ神の子のまことに幸せな道だよと教えておられるのでしょう。


   「自分の生命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために生命を失う者は、それを得る。」とは自分を捨てて、友を愛しこの世の生命を捨ててでも霊の生命つまりそういう神の永遠の生命を自分の霊の中に与えられることでしょう。この世の生命にしがみついていて自分の利己心のみを優先し、友を愛するよりも悪を生きるものはこの世の生命を保った様に見えてこの世が終わると神の霊の生命を頂けずに魂が滅びるのかもしれません。この世の困難や迫害の多くを受けてもキリストを信じ神の兄弟を愛しその友のためにもしこの世の生命を失ってもこの世の肉の生命は死んでも、自分の霊が救われて生き、永遠の生命が与えられてキリストの天国で永遠の幸せな生活が与えられる。これが、主キリストの神のために生命を失うものはそれを得るという事でしょう。 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の生命を失ったら、何の得があろうか。自分の生命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」とイエスは言われます。サタンは荒野の誘惑でキリストを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう。」と言いました。イエス様は、「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ神に仕えよ。』と書いてある。」と言われて、サタンの配下でこの世の栄華を受けることを強く退け、それよりも神にのみ仕え、生きることを宣言されました。 ここでも同じくたとえ全世界を手に入れても、サタンに身を売り渡し、自分の神の生命を失うことを避け、それよりも父なる神の幸せな平安な愛の生命の中に生きることの大切性の見本を示してくださったのだろうと感じます。


  「そして人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」とイエスは言われました。 神の愛の生命を受けて、自分を捨て神の兄弟のため、友のために自分の生命を捨てるような大きな愛に生きた者は、キリストの天国でキリストによりそれぞれの行いに応じて報いを得るのであると約束をされました。つまりキリストを信じてそのような兄弟愛に生きた者は、キリスト様は捨て置かれずにそれぞれの行いに応じて報いて下さります。自分を捨てて友のために深く愛に生きた者はキリストの天国でキリストのみそば近くにあげられて永遠に幸せな生活に入れると言われました。この主の言葉を聞いて何とキリストを信じて生きる者は幸せなのだろうかとしみじみと感動しました。


   私はキリストを信じて生きることは間違いなく人間が本来を生きるまことの道を歩むことであると信じます。そして最も自分も他の人も社会をも幸せにする道であると確信しております。あなたも生けるキリストを信じて主の恵みを受け、幸せになりキリスト様に自分の魂の霊を救われて天国で永遠の生命の中に生きる神の恵みに預かってください。あなたに神の祝福を祈ります。

   





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