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 | 地上の国と神の国の権威



(神の支配と地上の権威について)


2019年11月4日

   『それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。 そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。 ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、 イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。』

(マタイ伝22章15~22節 新共同訳)


 ここで普段犬猿の仲のパリサイ人とヘロデ党の者達が相謀りてイエスを陥れようとしました。ユダヤ人は本来心よりロマ政府に服従しておるのではなく、ロマ政府に貢を納る者も心ならずこれを行い、即人のうわべを見、政府の権威をはばかってこれを納めておりました。故に神の道(ユダヤ人に特に与えられし)を真をもて教え人の面を恐れざる者は、ロマ政府に反対し、貢を納るべからずと教うべきであると彼らは考え、イエスはこの答えを発し給うはずであると想像しました。

  それで、「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。 ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」と問いました。


 それはもし納るべきと言えば、人のうわべを見て真理を語らざる者との非難を彼に加える証拠を得、もし納るべからずと言えばカイザルに反する不敬として彼を捕らえんとしました。

  これに対しイエスは「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、 イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われました。 彼らは、「皇帝のものです」と言いました。すると、イエスは言われました。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と真理にしてかつ巧みに言われました。


 この世の一市民として政治上の問題につきては、カイザルに服従して彼に納べきもの(貢その他の義務)を納め、天国の市民としては、神に服従する事、この二者はキリスト者の義務であってこの二者は何等抵触するものではありません。ただ神に対する服従はもちろん主であるとの意味のことを言われました。

  現代のそれぞれの国や社会のおいて、複数の政党があり、いろいろと異なる思想や考え方があります。国や世界はいろいろな意味で競争をして主義や主張を戦わせております。人類はおろかにも二度の世界大戦をなし、多くの人やものを殺害・破壊してきました。人や国や世界は自分の主義や主張が真理などと考えて戦争をし多くの愛する人を奪ってきました。


  パウロはロマ書13章で「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」と言いました。

 キリスト者にとっては暴力革命はあり得ないいけないことでしょう。また、パウロが絶対服従を無条件に示しておりますが、ところで我らの神に対する信仰と全然反対の行動をとるべき命令が下る場合においては我らはこれに服従することはできません。しかし、もしこれに課せられる刑罰には服従する故に、服従の原則を破壊せず社会の秩序はこれにより保たれます。もしかかる処罰が神のみ旨に反することがあっても我らはこれらを受けなければなりません。
神は別にかかる処罰を課せる権威者そのものを処置したもう故に我らは唯黙して従うべきでありましょう。


  この世の権威と神の国の権威は相いれないものと考えがちです。この世や国では、現在も戦争をして人殺しをします。キリストの天の父なる神様は、十戒の中で「汝、殺すなかれ」と殺すことはいけないと戒めております。イエス様は金持ちの青年が永遠の生命を得るためにはどうしたらいいかの質問をしたときに「もし命を得たいならば掟を守りなさい。」青年がどの掟ですかと言うとイエスは「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証をするな、父母を敬え、また、隣人を自分の様に愛しなさい。」とも言われました。イエス様も人は殺してはならない。と言われました。しかし、この世では、敵国の人は平気で殺しております。
やはり、この世と神の国は相反するものなのでしょうか?


  私は、イエス様が「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と言われ、パウロが「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。」と言われた様に、この世の権威と神の国の権威に従う事、この二者はキリスト者の義務であってこの二者は何等抵触するものではないと信じます。ただ言われている様にこの二つの内で神に対する服従はもちろん主であると感じました。
つまり、人間は、キリストに「人を殺すな。」と言われてもそれを守れずに殺し合い、戦争をしていてキリストの神様の言われていることを守れずにいます。戦争の最中に国が人民に戦争することを指示したら、世の権威に従うべくキリスト者も含めて、多くの人は戦争に行きました。
日本でも多くの若者も国の命令に従って戦争に行って死にました。そして原爆を落とされて多くの人命が失われた我が国は戦争が悪いことだと多数のものが感じ、体験しました。

 

  国々で戦争が行われたらキリスト者も含めてその国の人民は戦争に行くべきことは理解できますが、それはこの世の権威に従うべきことかもしれません。しかし、愛なるキリストの神様が「殺してはならない」と教えているのを人や国々の皆がもし守れるようになれば真に平和な世界がやって来るだろうと信じます。

 パウロが「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」と言われたのはすべての権威は神に由来する権威であるということを教えていられることが上に立つ権威に従う事のポイントだと感じました。

 この世の権威においても『今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。』とありますキリストの愛の神様によって立てられた権威という意味・真理を汲み取ってキリストの神の愛・神のご性質にあう心や意志を大切に人や国々や社会が生きて歩んで行くことをキリストの神様に祈り、神の愛と平和が成ることを願うだけです。

 

 

   





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