2020年6月4日
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
(ヨハネ伝1章9~18節 新共同訳)
これからヨハネ伝を読んでいきたいと思います。ヨハネ伝の書かれた目的は『あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。』(ヨハネ伝20章31節)とあります。ヨハネ伝は、霊的意義あるものの如く記されているそうです。この書を読むことを通し、皆様と共に、自分なりにもキリストの信仰を学び、イエスの名より生命を受けたいと願います。
生けるキリスト様に祈り、主に対して私自身が感じるものは、慈しみ深く、優しく、純真で、愛そのものの存在だと感じます。キリスト様は、旧約時代から預言されていたメシアだったのに、イスラエルのユダヤの民には歓迎されて迎えられるはずなのに受け入れられませんでした。
どれ程主はお寂しかったか分かりません。
しかし、これによりキリストの降世の目的が失敗に帰してしまったのではありませんでした。その中で受け入れた者、信じた者には、主は神の子としての権威を与えられました。ユダヤの民には受け入れられませんでしたが、このことが却って福音がユダヤ人を離れて異邦人に伝わり、世界万民が救わるべき原因となりました。
そして神の子となる権威は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれました。人間の血統関係によりてや人間の生まれながらの欲、人間の意志の決定にも、生まれません。神の子は、私達が神を信じて、神により生まれました。どんなに貧しく弱くだめなものでさえ、キリストの神様を信じれば、誰でもどんなものでも神は私達に神の子となる権威を与えてくださります。私自身も主に対し、本当にありがたいと感謝が絶えません。
「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。」
律法は我らに罪を示し、神に怒りと審判とを教えるに反し、恵みの福音は我らに罪の赦しと救いとを示し永遠の生命を与えます。そして、満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に更に恵みを受けるとあります。
私は、生けるキリスト様に祈り、願い、志を持ち、その実現を信じ切って歩んでいけば、願いは実現し、恵みの上にさらに恵みを加えられるキリストの信仰生活の体験をしました。生けるキリストの信仰は、主をまことに信じる者には、恵みを増し加えられる福音だと感じました。しかし、その願いがキリストの御心であれば成りますが、御心でないことはならないでしょう。
「父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」
神の独り子イエスは受肉以前も以後もまた昇天し給える今も常に父なる神に対する密接なる霊交を続けておられます。父のふところにいるとは永遠に父のふところに在すことを示します。
キリスト様は、永遠に父のふところに在し、いつも父と霊交し、すべての被造物へ父なる神の御旨を伝え、愛の生命といつくしみ、喜び、恵みを伝えます。そして主に祈る私たちの願いを主の御心に沿いて、かなえてくださります。
私は、キリストによりて、キリストを信じて生きていくことは、この世でも天国でも私たちを幸福にすると信じます。