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 | 永遠の生命を得る私たちの恵み



(信じる者は永遠の生命を持つ)


2020年8月3日

  イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」
(ヨハネ伝3章10~21節 新共同訳)


   『信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』とあります。
  キリストを信じる者が皆、人の子によって永遠の生命を得るためであります。キリストをまことに信じる者は、どんなものでも主により永遠の生命を獲得できるとあります。キリストを信じる者は、永遠の生命を得て、キリストの天国が住まいとなるのでしょう。


  そして、神はその独り子をお与えになったほどに世を愛されたとあります。自分の長子である独り子を自分を離して与えたということは、世の人々をどれだけ愛されたかを感じます。そして独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の生命を持つためである。とあります。キリストが十字架にかかり世の人々を贖われ救われて、その独り子のキリストを信じる者はだれ一人も滅びずに永遠の生命を得ることができるとあります。


  キリストを信じる者は永遠の生命を持ち一人も滅びずに生きれると主は証を致しました。 私達は、キリストを信じることを通して、永遠の生命を与えられることが約束され、天国で幸せに暮らせると信じることもできます。このキリストの言葉はとてもありがたいことだと感じました。


   この箇所をギリシャ語原文訳で読みますと
  『なぜなら神はその独り子を与えたほどに、かくまでこの世を愛した。彼(子)に信じているすべての者が滅びることなく、永遠の生命をもつためである。神がこの世にその子を遣わしたのは、この世を裁くためではなく、この世が彼を通して、救われるためである。彼を信じている者は裁かれない。しかし、信じていない者はすでに裁かれている。神の独り子の名を信じなかったからである。 これが裁きである。すなわち、光が世に来ているのに、人々は光よりも闇を愛したことである。彼らの業が邪悪であったからである。 なぜなら、卑しいことを行っている者はすべて、彼の業が明るみに曝されることがないために光を憎み、光の許に来ない。 しかし真を行っている者は、彼の業が神にあってなされたことが顕されるために光の許に来る。』(ギリシャ語原文訳 ヨハネ伝3章16~21節)


  私達は、自分の内側に自己のみを愛し、自分のみの利を強く求め、神に背く、生まれながらの罪を持っています。神に反して生きていた私たちは、キリストの神様を信じることを通して、救われます。キリストの神様を信じないものは神の独り子の名を信じなかったために裁かれているが信じている者は裁かれないとあります。


  私達はキリストの神様を信じることを通して新生します。新生とは、全く神の霊によって新たに生まれかわることであります。
生けるキリストの信仰により、聖霊の生命を受けて、自分のうちの生まれながらの罪のままにキリストの光に露出してその罪から回心し、キリストの十字架の御血潮に贖われて、救われて日々に新生をしていくことでありましょう。


  「光が世に来ているのに、人々は光よりも闇を愛したことである。彼らの業が邪悪であったからである。なぜなら、卑しいことを行っている者はすべて、彼の業が明るみに曝されることがないために、光を憎み、光の許に来ない。」とあります様に、人間生まれながらの自分自身が邪悪なため、光にさらされるのを拒み、多くの者が、光を憎み、光に来ない。つまり、愛の光の存在であるキリストの神様を信じようとしないということです。


  『しかし真を行っている者は、彼の業が神にあってなされたことが顕されるために光の許に来る。』とある様に、キリストを信じ、信仰生活をし、まことを行っている者は、彼の業が神によってなされたことがあらわされる事を拒否せずに喜び、光の許に来て、神の愛の中に真のキリスト者の歩みを喜んで行う恵みに預かれるのでしょう。


  どこでも他人との競争があり、争いごとの多いこの世の中でキリスト者が光の許に来て生きるのはある意味で大変なことかもしれません。


  しかし、キリストの神様を信じ、祈りつつ、キリスト者の仲間と助け合いながら、光の道を歩むのはとても大切なことだと信じます。


  主キリストは、弟子たちを伝道につかわすときに「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。 」(マタイ伝10章16節)と言われました。私達も困難のとても多い世の中で歩むときはこのイエスの言葉のように自分のうちに素直さと共に、キリスト者として生き、矛盾や困難の多い世に打ち勝つために、蛇の様な賢さも兼ね備えることが大切とも感じました。


  私は、主キリスト様に、キリストを信じて、キリスト者として、出来るだけこの世の中で、共々、光の道を歩む恵みの人生を生きられる様に、主キリストの兄弟姉妹、皆様のことをお祈りいたします。


(参考文献:ギリシャ語原文について キリスト聖書塾 ギリシャ語対訳聖書ヨハネ福音書1〈改訂版〉)

   





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