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 | 聖霊は困難なときに適切に教えて下さる



(聖霊は無学なものを賢くする)


2023年3月9日


『ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、
『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、
隅の親石となった石』
です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。 』


(新共同訳 使徒言行録4章1~22節)


   ギリシャ語原文訳では『さて彼らが民に向かって語っているときに、祭司たちと神域の護衛長とサドカイ人たちが彼らのそばに立った。彼らが民を教えること、また、イエスにおける死人たちの中からの復活を告げ知らせていることのゆえに苛立って、それで彼らに手をかけた。そして翌日まで留置場の中に留めた。なぜならすでに夕方だったからである。』とあります。


  祭司たちやサドカイ人たちなどは、イエスを十字架につける事に賛成して、殺しました。また、サドカイ人は復活を信じない人々でした。 イエスの弟子のペテロたちの伝道はその最初の奇跡が行われると同時に妨害が起こってきました。
イエスを否定し殺した者として、イエス・キリストの福音が広められるのを好まずに苛立って彼らに手をかけて留置場に入れました。
とらえていた時には夕方になっていました。裁判を開く刻限を過ぎたために裁判は翌日となりました。


  原文で『しかし、言(ロゴス)を聞いた者たちのうちの多くは信じた。そして、その男たちの数は[およそ]5千人と成った。それで翌日、彼らのうちの支配者たちと長老たちと律法学者たちは、エルサレムに招集されることとなった。また大祭司であるアンナスとカヤパとヨハネとアレキサンデルと大祭司の一族皆が居た。そして彼らを真ん中に立たせて問いただした、「どんな力において、あるいはどんな名において、このことを行ったのか、お前たちは」。』とあります。


   この”言葉”という字は、ギリシャ語のロゴスという字です。言葉の意味は、「説明、神の言葉」という字です。弟子のペテロやヨハネの言葉は、単なる言葉ではなく、聖霊の生命に満ちた神の言葉を語っていたと感じました。キリストの弟子たちの奇跡で生まれながらに足が不自由で歩くことができない男が癒された事実を民衆は見て、5千人もの人がイエス・キリストの福音を信じたとあります。男たちの数は5千人ということは女や子供も含めて多くの人たち一万人位もの人たちが信じたとも言えると思いまして、大きな伝道がなされ始めました。
翌日、彼らのうちの支配者たちと長老たちと律法学者たちは、エルサレムに招集され、彼らを真ん中に立たせて問いただし、「どんな力において、あるいはどんな名において、このことを行ったのか、お前たちは」。と問いただしました。
大祭司等は、イエスの弟子たちをもって、一種の魔術者の如くに考え、他の神の名と能力とによりてこの奇跡を行ったのであると解して、申命記13章1~3の精神によりてその罪を問わんとしました。イエスの名を知らざる者はその弟子たちの能力の源を知ることは出来ませんでした。


  原文で『そのときペテロは聖霊に満たされて、彼らに向かって言った。「民の支配者たちよ、そして長老たちよ、もし私たちが今日、病弱な人への良い働きのゆえに、何においてこの者が救われてしまったかを尋問されているのなら、あなたたちのすべてに、そしてイスラエルの民のすべてに周知のことであれ。あなたたち自身が十字架に架け、神が死人たちの中から蘇らせたナザレ人イエス・キリストの名において、その名において、この男はあなたたちの前で元気に立っている、ということが。この者(イエス)は石である。家造り《である》あなたたちによって無視されたもの、隅の首石となったもの《である》。そして救いは他の誰の中にも存在しない。なぜなら別の名は天下に存在しないからである。人々の中に与えられていて、私たちがそれにおいて必ず救われるような《名は》」。それで彼らはペテロとヨハネの大胆さを観ていて、また、彼ら(2人)が無学な人々で素人であることが分かって、驚き怪しんでいた。また彼ら(2人)がイエスと一緒にいたことを熟知していた。』とあります。


  イエス・キリストの御名をしらない律法学者、長老、大祭司たちの問いただしに対して、弟子のペテロやヨハネは、大胆に聖霊に満たされて向かっていきました。
そしてこの奇跡は問われたような一種の魔術で他の神の名と能力で行ったのではなく、天の父なる神の子の主イエス・キリストの御名によって行ったものであると答えました。


  「そして救いは他の誰の中にも存在しない。なぜなら別の名は天下に存在しないからである。人々の中に与えられていて、私たちがそれにおいて必ず救われるような《名は》」。と答えました。キリストの御名による愛の奇跡の力は、キリストの御名により願いがかなえられて救われて恵みを体験したキリスト者にとっては良く分かることだと感じますが、主を信じてその恵みを体験出来ない人にはその素晴らしい恵みを受けられないのではと感じました。私もキリストの御名による救いは、唯一人々の中に与えられた救いである、という神のロゴスの霊的な意味にアーメンであります。 『それで彼らはペテロとヨハネの大胆さを観ていて、また、彼ら(2人)が無学な人々で素人であることが分かって、驚き怪しんでいた。』とありますが、キリストを信じる者は、無学なものを賢くし、大祭司、長老、律法学者たちの中で、大胆に、裁判の様な中でも、ある面、敵のような者たちの中で、キリストの愛の神の福音を伝えられると感じ、感銘を受けました。
『また彼ら(2人)がイエスと一緒にいたことを熟知していた。」とありますが、ペテロやヨハネがイエスの真の弟子であることを熟知していたのだとあります。


  原文で『また、癒されて彼らと一緒に立っている人を見て、彼らは一言も反論することができなかった。それでサンヘドリンの外へ出ていくように彼らに命じてから、互いに協議し始めた。《こう》言いながら、「私たちはこの人たちに何をなそうか。なぜなら、確かに周知の徴が彼らによってエルサレムに住んでいるすべての者たちに明らかになってしまった。しかも私たちは打ち消すことが出来ない。しかし民の中に、それがより多く広められないために、私たちは彼らを脅迫しよう。これ以上この名において、人々の誰にも語らないように」。そして彼らを呼んで、イエスの名において決して発言しないように、また教えもしないように厳命した。しかしペテロとヨハネは、彼らに向かって答えていった。「神に《聞く》よりむしろあなたたちに聞くことが、神の御前に義しいのかどうか、あなたたちは判断せよ。なぜなら私たち自身は見たこと、聞いたことを語らないでいることはできない」。それで彼らは彼ら(2人)をさらに脅迫した後、釈放した。彼らは民のゆえに、彼ら(2人)をいかにして罰するかを一つも見つけ出せないので。なぜならすでに起こったことのゆえに、皆が神を誉め賛えていたからである。というのは、40を過ぎた歳の人であった、その彼の上に癒しのこの徴が起こってしまったのは。』とあります。


  『また、癒されて彼らと一緒に立っている人を見て、彼らは一言も反論することができなかった。』とありますが、事実癒されている本人が裁判の中に立っているということであり、どんなに反論しようとしても、事実、真実に反論することはできないと感じました。
原文で『しかし民の中に、それがより多く広められないために、私たちは彼らを脅迫しよう。これ以上この名において、人々の誰にも語らないように。そして彼らを呼んで、イエスの名において決して発言しないように、また教えもしないように厳命した。』と長老、律法学者たちは、主キリストの愛の福音を伝えるのを禁止させようと考えて弟子たちを脅迫して福音を説くのをやめさせようという手に出ました。
『しかしペテロとヨハネは、彼らに向かって答えていった。「神に《聞く》よりむしろあなたたちに聞くことが、神の御前に義しいのかどうか、あなたたちは判断せよ。なぜなら私たち自身は見たこと、聞いたことを語らないでいることはできない」』
ペテロとヨハネは、神に聞くことと人に聞くこととでは、間違いの多い人に聞くのではなく、義しい神に聞くことをやめることはできないという意味のことを大胆に発言しました。


  キリスト様は、『会堂や役人、権力者のところへ連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。』(ルカ伝12章11~12節)と教えられました。ペテロとヨハネがサンヘドリンに引き出された時に、何をどう言おうかなどと心配せずに、聖霊に満たされ導かれて、この場で彼らを導いて、それについて大胆に所信を述べれた姿に素晴らしいと感じました。キリストを信じて聖霊を受けて生きればどんな困難な場面でも主キリストの聖霊の導かれて、キリスト者は歩み続けていけることもできるのだなと感じました。


  『それで彼らは彼ら(2人)をさらに脅迫した後、釈放した。彼らは民のゆえに、彼ら(2人)をいかにして罰するかを一つも見つけ出せないので。なぜならすでに起こったことのゆえに、皆が神を誉め賛えていたからである。というのは、40を過ぎた歳の人であった、その彼の上に癒しのこの徴が起こってしまったのは。』
ペテロとヨハネは、キリストの聖霊を受けて大胆に歩んだことにより、民衆はキリストの福音を信じる者が増えました。また、40年間生まれながら足の不自由なものはキリストの弟子のペテロの一言にして奇跡が起きて歩けなかったものが歩けるようになりました。 律法学者、長老、大祭司たちは主の弟子の彼ら(2人)たちをいかにして罰するかを一つも見つけ出せないままで釈放をしました。
キリストの神様に聖霊を受けたキリストの弟子たちに対して、主による主の福音における大勝利が訪れました。


   こうしてキリストの聖霊を受けた弟子たちによりキリストの愛の福音がより大きく広まっていき始めました。
キリストの聖霊による愛の福音は、キリストを信じる聖霊を受けたキリスト者たちにより、主の言われた「父が私の名によってお遣わしになる聖霊があなたがたにすべてのことを教える」(ヨハネ伝14章26節)とあるように、聖霊の生命により先導されて、伝わっていくものだと感じました。


  主のお導きとそのご愛に心から感謝いたします。


  (参考文献:ギリシャ語聖書対訳テキスト使徒行伝1(改訂版))


   





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