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 | 人々によりも神に一層聞き従うべきである。



(この生命の言葉のすべてを民に語り続けよ)


2023年4月13日


『彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。 ところが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルという人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、それから、議員たちにこう言った。「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」一同はこの意見に従い、使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。』


(新共同訳 使徒言行録5章27~40節)


   ギリシャ語原文訳では『さて大祭司と彼と一緒にいる者たちは皆、サドカイ人たちの派であるが、立ち上がったとき、妬みで満たされた。そして彼らは使徒たちに手をかけた。そして彼らを公共の留置所に入れた。』とあります。


  使徒たちの手により、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行なわれ、民衆は彼らを称賛し、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていきました。これに対して、大祭司とサドカイ人たちの派であるものたちは。その使徒たちに対して、妬みを持ちました。そして使徒たちを公共の留置所へ入れました。人間は、自分と比較して、他人が恵まれている場合には妬みを感じることもあります。しかし、愛なるキリストの福音の称賛、発展は愛なる神の業であり、それを伝える弟子たちに対して妬みを持つことはあってはならないことだと感じました。イスラエル、ユダヤ人の当時の宗教的な指導者たちの多くは、昔から預言されてきたメシアであるイエスを救い主のメシアであるキリストと信じて受け入れることは出来ませんでした。キリストの受難は預言されていたとありますが、キリストが伝えた福音が数少ないまことの弟子たちにより、困難に打ち勝ち伝えられて現在のキリスト教があることに改めてキリストの神様への感謝が湧きました。


  原文で、『しかし、主の使いが夜、牢獄の扉を開いて彼らを連れ出して《こう》言った。「行け。そして立って、神域の中でこの生命の言葉のすべてを民に語り続けよ」。それで彼らは《これを》聞いて、夜明け頃、神域に入った。そして教え始めた。しかし大祭司と彼と一緒にいる者たちが現れて、サンヘドリンとイスラエルの子らのすべての長老会を招集した。そして彼ら(弟子たち)が連れて来られるように、牢獄に《人を》派遣した。それで下役たちは現れたが、牢獄の中に彼らを見い出さなかった。それで引き返して報告した。《こう》言いながら、「まったく堅固に閉ざされている獄屋と、また扉のところに立っている番人たちを私たちは見い出しました。しかし、開けたとき、中には誰も見い出しませんでした」。それで神殿護衛長と大祭司たちがこれらの言葉を聞いたとき、これはいったいどうなるのかと、彼らについて途方に暮れていた。』とあります。


   大祭司やサドカイ人たちにより牢獄へ入れられたキリストの弟子たちを主の使いは奇跡の力で解き放ちました。神様は、キリストの弟子たちを 愛して、天使を遣わし人間には出来ない方法で、牢獄のカギを開けました。神様の万能の力のすごさを感じました。
そして主の使いは弟子たちに「民にこの生命の言葉のすべてを語り続けよ」と言われました。キリストの弟子たちは、ペンテコステに聖霊の生命を受けて、聖霊にすべてのキリストの神の義、神のご性質を教えられて、それを伝える存在と変貌しておりました。そして、神は、牢獄に閉じ込められているのを打ち破り、弟子たちに、神域で、大胆に神の福音を説き続けよと踏み出させました。弟子たちはそれに従い教え始めました。神様が弟子たちに対して、彼らが民にまことの神の福音を伝えることを期待している様子を感じました。
この弟子たちの獄屋からの解放の奇跡のことに対して、神殿護衛長や大祭司たちは、あっけにとられて、途方に暮れてしまいました。 主キリストに守られている弟子たちに対して、大祭司であれ、どんな人間の権力者も勝つことはできないと感じました。


  原文で『しかし或るものがやって来て、彼らに報告した、「見よ、あなたたちが牢獄へ入れた男たちは、神域の中に立って、民を教えています」。そのとき《神殿》護衛長は、下役たちと一緒に出て行って、暴力を使わずに彼ら〈使徒たち〉を連れてきた。なぜなら、彼ら〈護衛長たち〉は石打ちされはしないかと、民を恐れていたからである。さて彼らは彼ら(使徒たち)を連れてきて、サンヘドリンの中に立たせた。そして大祭司は彼らを問いただした。《こう》言いながら、「この名において教えないように、私たちはお前たちに堅く命じた[ではないか]。しかるに見よ、お前たちはお前たちの教えでエルサレムを満たしてしまっている。そしてこの人の血を私たちの上に来たらせようと企てている」。』 とあります。


  大祭司は「この名において教えないように、私たちはお前たちに堅く命じた[ではないか]。しかるに見よ、お前たちはお前たちの教えでエルサレムを満たしてしまっている。そしてこの人の血を私たちの上に来たらせようと企てている」。といって使徒たちを問いただしました。
ユダヤ人の議会のサンヘドリンは祭司、学者、長老などより成る最高法院で当時においても宗教上の事物に関して最上の権力保持機関でありました。その場所で大祭司は、主の弟子たちに、弟子たちの福音活動を禁止させようとその権力で問いただしました。「そしてこの人の血を私たちの上に来たらせようと企てている」。と自分たちがイエスを十字架にかけたことに対して、その血の責任についても指摘しております。
イエス・キリストの福音をつぶそうと力で押さえつけようとしました。


  原文で『それでペテロと使徒たちは答えて言った、「人々によりも神に一層聞き従うべきである。私たちの父祖たちの神は、あなたたちが木に架けて殺したイエスを蘇らせた。この者を神は先導者、また救い主としてご自分の右に高く上げられた。イスラエルに回心と罪の赦しとを与えるために。そして私たちはこれらの言葉の証人たちです。また神がご自身に聞き従う者たちに与えたあの聖霊もまた《証人です》」。』とあります。


  ペテロと使徒たちは、『人々によりも神に一層聞き従うべきである。』と答え始めました。そしてサンヘドリンの最高法院の最上権力保持機関で権力による押さえつけ圧力に対して、落ち着いて動揺せずに、どうどうと弁明をしました。
『そして私たちはこれらの言葉の証人たちです。また神がご自身に聞き従う者たちに与えたあの聖霊もまた《証人です》」。』と言い、聖霊に満たされて伝えました。
人間は人間の中での権力にすがろうとしますが、人間よりも不可能なことのない神、人間の最大の人知をも超える神に聞き従うことは大切なことだと感じました。


  原文で『それで聞いた者たちが激怒していた。そして彼らを殺すことを企て始めた。』とあります。


  大祭司はじめ長老たちはペテロによりて神に対する反逆者たる烙印を押されたので、彼らの誇りは粉砕され、その怒りは頂点に達しました。彼らは使徒たちを殺さずにおくことが出来なかった程の憤怒でありました。


  原文で『しかし民の皆に尊ばれている律法の教師で、ガマリエルという名の或るパリサイ人が、サンヘドリンの中で立ち上がり、人々(使徒たち)を暫くの間、外にやるように命じた。彼(ガマリエル)は彼らに向かって言った。「イスラエルの男たちよ、自ら気を付けよ、これらの人々についてあなたたちが何を行なおうとしているかに。なぜなら、これらの日々の前に、チゥダが自分自身が何者かであるかと言いながら立ち上がった。その彼におよそ400の数の男たちが傾倒した。その彼は殺された。そして彼に説得されていた者たちは皆解散させられた。そして何も無くなった。この者(チゥダ)の後、人口調査の日々に、ガリラヤ人であるユダが立ち上がった。そして民衆を自分に従わせて反乱させた。そして彼もまた滅んだ。そして彼に説得されていた者たちは皆散り散りにされた。そして今や、私はあなたたちに言う。これらの人々から遠ざかれ。そして彼らを放っておけ。なぜなら、もしこの企てあるいはこの業が人々から出ているのなら、破壊されることになる。しかし、神から《のもの》である以上、あなたたちは彼らを潰すことはできない。あなたたちが神に敵対する者たちとして、見い出されないように」。それで彼らは彼(ガマリエル)に聞き従った。』とあります。


   大祭司や長老たちの怒りで弟子たちを殺そうと企てたことに対し、ガマリエルという名の或るパリサイ人がサンヘドリンの中で立ち上がり、指摘をしました。
ペテロや弟子たちのキリストにある数々の癒し、奇跡に対して、人間の業ではなく神の導きの業だと感じたこともあるのか、『神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。』と言いました。
『民の皆に尊ばれている律法の教師で、ガマリエル』と記載されておりますが、民の心を理解している教師であり、適切な指摘だと感じました。


  原文に『そして彼らは使徒たちを呼び寄せて鞭で打ち、イエスの名において語らないように厳命した。それから釈放した。それで確かに彼らはサンヘドリンの前から喜びながら進んでいった。というのは、彼らは御名のために辱められるのに値すると認められたからである。』とあります。


  弟子たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことの喜びを感じました。キリスト者は、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされることがあれば、それを喜び、誇りとするものだと感じました。


  原文で『そして日毎に神域において、また家毎に教え続けること、そしてキリスト・イエスを福音することを止めようとしなかった。』 とあります。


  弟子たちは、神からに導かれて、イエスの福音をすること、教えを伝え続けることを成しました。 また、家毎に教え続けることとありますが、自分の家での集会、家庭集会での教えの場も大切だと感じました。


  この時点からはまことにキリストの福音は、イスラエルのサンヘドリンの大祭司などからの福音禁止の尋問をもクリアして、大きく展開がなされて、さらに主の聖霊の中の愛の福音と教えと救いが広まり拡大を始めました。


  私たちキリスト者は、キリストの直弟子ペテロや使徒たちが言う、『人々によりも神に一層聞き従うべきである。』という神の真理を受け止めたいです。そして、人間の業が最高ですべてを成すと受け止め、人間の力にのみよりすがるのではなく、かえって「人々の側ではこのことは不可能である、しかし神の側ではすべてのことが可能である」(原文 マタイ伝19章26節)という主の言葉を信じて、神の側ではすべてのことが可能であり、神への我が祈願で神の御心にかなうことはキリストの御名により祈れば成就できると信じて主の恵みの中に歩んで行くことが大切だと信じます。そして使徒ペテロや使徒たちのキリストと共に導かれて通った様なこのような困難をも見ならい、私たちキリスト者もどんな困難をも主の祈り聖霊の生命を受けて解決を願い、勝利していきたいと願い、信じます。


  キリスト者に主の恵みがあることを祈ります。


  (参考文献:ギリシャ語聖書対訳テキスト使徒行伝1(改訂版))


   





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