2025年11月6日
『五日の後、大祭司アナニアは、長老数名と弁護士テルティロという者を連れて下って来て、総督にパウロを訴え出た。パウロが呼び出されると、テルティロは告発を始めた。「フェリクス閣下、閣下のお陰で、私どもは十分に平和を享受しております。また、閣下の御配慮によって、いろいろな改革がこの国で進められています。私どもは、あらゆる面で、至るところで、このことを認めて称賛申し上げ、また心から感謝しているしだいです。さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申し上げます。御寛容をもってお聞きください。実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。*そして、私どもの律法によって裁こうとしたところ、千人隊長リシアがやって来て、この男を無理やり私どもの手から引き離し、告発人たちには、閣下のところに来るようにと命じました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます。」他のユダヤ人たちもこの告発を支持し、そのとおりであると申し立てた。』
『総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。「私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。確かめていただけば分かることですが、私が礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。さて、私は、同胞に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。私が清めの式にあずかってから、神殿で供え物を献げているところを、人に見られたのですが、別に群衆もいませんし、騒動もありませんでした。ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので、「千人隊長リシアが下って来るのを待って、あなたたちの申し立てに対して判決を下すことにする」と言って裁判を延期した。そして、パウロを監禁するように、百人隊長に命じた。ただし、自由をある程度与え、友人たちが彼の世話をするのを妨げないようにさせた。数日の後、フェリクスはユダヤ人である妻のドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスへの信仰について話を聞いた。しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、「今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする」と言った。だが、パウロから金をもらおうとする下心もあったので、度々呼び出しては話し合っていた。さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。』
(新共同訳 使徒言行録24章1~27節)
この章からはパウロがキリストに反対するユダヤ人たちにパウロを裁判にかけてそして殺そうとたくまれていき、その裁判の前でパウロが堂々と弁明をしていくことが最後の章まで書かれております。キリストに反対する者に対して自分の主に救われて伝道をしているあかしをしてパウロはどんな力強い高い立場のユダヤ人の大祭司、長老や総督にもものおじせずにキリスト者としての自分の弁明をしていきます。パウロのキリストを信じキリストをのべ伝えるものとしての主の愛に対するあつい信仰と情熱を感じました。
パウロのことをテルティロは
ギリシャ語原文訳で
「といいますのは、この男が疫病であり、また全世界のユダヤ人すべてに対立を扇動している者でナザレ人らの派の首領であるのが分かって」。
と言っています。つまりキリストをユダヤの民に待ちに待たれた救い主メシアとして受け入れるのではなく、「ナザレ人の分派」だといって批判をしています。何故メシアであるイエスをキリストとユダヤ人たちは受け入れられなかったのでしょうか?
メシアは神であり、聖霊により人から生まれることをユダヤ人たちは理解できなかったのかもしれません。
しかし預言者が預言して地上にアブラハムの末としてメシアが生まれると言われたことをありのままに信じられなかった多くのユダヤ人たちはおろかさと悲しみしかなかったのだと思います。キリスト・イエスをメシアと信じたキリスト者は皆他界後召天して主の天国に行き永遠の生命をいただき幸せの歩みが続き続けていると感じます。
『そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。』
とパウロは弁明をはじめ、『私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、』とテルティロがパウロたちのことを『分派』と言ったことをとらえて弁明をしました。パウロたちは先祖の神を信じ礼拝していてもちろんユダヤ人たちと同じように天の父なる神を信じています。そしてパウロのこの言葉を聞くと、預言者たちの預言がやっと成就したメシアであり救い主の貴い神の独り子のイエス・キリストに信じている喜びと自覚、その幸福が伝わるようにも感じます。
『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので、「千人隊長リシアが下って来るのを待って、あなたたちの申し立てに対して判決を下すことにする」と言って裁判を延期した。そして、パウロを監禁するように、百人隊長に命じた。ただし、自由をある程度与え、友人たちが彼の世話をするのを妨げないようにさせた。』
とありますが、大祭司アナニヤたちは総督にパウロのことを訴えてテルティロは告発を始めました。しかしパウロが弁明をしたところ、フェリクス総督は、パウロを監禁はしましたが、自由をある程度与え、友人たちが彼の世話をするのも妨げないようにするというように囚人として厳しく扱うのではなくパウロに対しての配慮をもって対応をしました。そこにはパウロとしてのキリスト者としての霊的な愛の存在とすぐれた人格の輝きがあったのではと感じました。
『さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。』
フェリクス総督の時代に2年間監禁されたままであったとあります。パウロは監禁された場でキリストの福音を伝えていたのではと感じました。
『フェリクス総督の後任としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。』とありますが、今後のパウロの歩みが心配です。しかし今後もパウロはしっかり弁明をして堂々と福音を伝え続けていきます。
主イエスキリストに対立するユダヤ人の代表の大祭司アナニアはイエスを裁き陥れようとしてここぞとばかりに発言をしたのを感じます。
その裁判での危機に対してパウロは主なる神に導かれて恐れずに堂々とありのままのことを順序だてて説明し弁明しました。パウロのキリスト者としての恐れずおじけない姿と弁明はフェリクス総督に届き、裁判でパウロの有利な方向へ進んだと感じます。
パウロは、総督の前で、敵の様な大祭司のユダヤ人や長老の批判や訴えに対して生けるキリストの牧者として堂々とした態度で明瞭な言葉で弁明をいたしました。どんな危険な状況でも主キリストによる最善を信じて、堂々として立ち向かうことは大切なことだと感じました。
キリスト様は、キリスト者に対して「裁判などの前に引き出されても、おじけるな、主に最善を祈り、主の愛の生命を頂き、その場にあたれば、言うことは神により与えられる」。という様な教えを言われておりますが、私たちもパウロと同じくキリスト者としてどんな困難や危険な場合でも、主キリストを信じて、その最善を祈りつつ、その場を良く最適に過ぎ越していきたいと願います。
主の導きが今日のあなたにありますように祈ります。
(参考文献:ギリシャ語聖書対訳テキスト使徒行伝3(改訂版))